”幸せの聖地” 椎葉村の披露宴

椎葉村情報
10 /05 2017
鶴富伝説が残る椎葉村。
平清盛の孫娘である鶴富姫と、源氏の大将・那須与一の弟である那須大八郎宗久の間にできた鶴富婚は、
その後養子を迎え那須の性を名乗らせ、なんと現代にいたっております。

なんと約800年たった今も、那須家住宅が存在しているのはすごいことです!!

その那須家住宅は、国の重要文化財に指定され、『鶴富屋敷』として一般公開しています。

私が椎葉村に入ってすぐ感じいたのは、椎葉村はなかなか美男美女の村だということです。
さすがに平家と源氏の末裔だけあって、男性はどこか平清盛の肖像画ににているんじゃないかな?
女性は上品なお顔だちで、みんないいお顔です。

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≪鶴富屋敷にて、結婚披露宴が行われました≫

平家と源氏が仲良く暮らした村は椎葉村だけだそうです。
歴史上空想的なものが多い中で、歴史の変化に絶えうるものが真実と思います。

歴史の表舞台にたつことはなかった平家のお姫様と源氏の大将の悲恋の物語…
お二人の恋は800年の時を超えて、この鶴富屋敷にて毎年11月10日~11月12日まで再現されるそうです。
全国の皆さん、椎葉平家まつりへ行きませんか?

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都会の暮らしに少し疲れたな、ち思ったら、ぜひスローライフを送ってみませんか?
「愛の聖地」が待っています。
椎葉村へ巡礼の旅にでかけてみませんか?

【鶴富屋敷】
那須大八郎宗久と鶴富姫の悲恋の舞台ともなった場所。
敷地内には、鶴富姫のお墓や鶴富姫が朝夕化粧に使用したとされる「化粧の水」があります。
正式には那須家住宅といい、建物は藤原期の寝殿造りで、大きく太い材料を使用しているところが
椎葉独特の型式と言われています。
また、一列型平面型式を融資、家屋前面に縁を横一列に長く配置するなど、平地が少なく傾斜をうまく
利用するために考えられた知恵といえます。

現在ある建物の建立は、明確な資料が残っていないものの、その建築技術から約300年ほど前と言われています。
昭和31年に区の重要文化財に指定されました。
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アフリカ・ザンビアの辺地で、私財を投じ貧しい人々の命を救う、日本人女性医師と知られざる椎葉村の物語

椎葉村情報
08 /24 2017
辛さを美しい結晶に変えて、世に送り出した女性医師と椎葉村の皆さま方の美しい秘話をお届けいたします。

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「世界 なぜそんなところに日本人が?」
世界で活躍する知られざる日本人を紹介しているテレビ番組をみました。(2014年放送)
内容は以下の通りです。

「病院のない地域(アフリカ・ザンビアの辺地)に自ら行って、巡回診察を行っているひとりの日本人女性がいる。
しかも巡回診察の値段は無料。その日本人の名前は、山元香代子医師。
山元さんは無給で薬と診察を提供し、年回500万円の自費と寄付金で活動しているという。
山元さんは3ケ月間日本で働いて金を稼ぐと、3ケ月ザンビアでの活動を続けているのです。
しかも、そんな生活が20年くらい続いているという。
日本の病院では、非常勤医師として働き、稼いだお金はほぼ全額巡回診察に使っているのだというのです。」

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当時、この番組を見ていた私は、感動のあまりしばらくの間声が出ませんでした。

話はここからなんです!!

番組は、何故そこまでして山元さんがザンビアの貧しい人々を救っているのか!?と報じました。
いきなり映し出された椎葉村の映像に二度ビックリ!!です。
山元さんは、宮崎県出身ということもあり、初めての赴任先が日本三大秘境である椎葉村だったと・・・。
そこでの様々な経験と、村人の優しさが彼女を無医村の辺地へと、、、
そして、「命を投げ打ってでも一生懸命生きている人が幸せになる世の中にしたい」
と人生を決定づけたと伝えました。

この番組は、女性であり日本人である私たちの心に大きく響いてくるものがありました。
私と同世代である山元先生の爪の垢を煎じて飲ませていただきたいぐらいの感動を覚えました。

では、最後になぜ椎葉村が不思議な魅力を持つ村なのか、という事を
もう一つの私の家族にまつわるエピソードをお伝えしたいと思います。

遠い昔の話ですが、私の父は物事の白黒をきちんとつけないと気がおさまらない性格で、
酒が入ると大声で怒鳴り散らすのは日常茶飯事、若いころはちゃぶ台をひっくり返したほどでした。
そんな父を連れて、私たち夫婦は椎葉村へ行きました。
晩酌を交わしながら、温かい村の人たちと何を語り合ったのでしょうか?
よほど嬉しかったのでしょう。あくる年、旅が好きでもない父が「もういっぺん椎葉へ行きたい」と、
母を連れて再び行くことになりました。

その後の父は、全く別人となりました。
どんなに憎い人にも優しく接し、晩年は敵を作ることはありませんでした。
それどころか、他人(ひと)の喜ぶ親切を買って出る、ぐらいに村一の優しい老人となりました。

椎葉村には、歴史上平家と源氏(敵と味方)が仲良く暮らした、とあります。
これほどまでに「誰もが心の奥に持っている優しい日本人の心を取り戻すことができる村」が
椎葉村を除いて、日本中探してもあるのでしょうか?

30年前、父が椎葉村を訪ねた際に私に言った一言、
「お前、椎葉村の人達を大切にしろ!!椎葉村のために何か役に立つことをしろ!!」
昨年、享年91歳の生涯を閉じた、父の辞世の句のようです。
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この文章を自らが、泣きながら書き終えました!!
ひとりでも多くの方々に、ぜひ椎葉村を知っていただきたいと思いました。

いくら耳を澄ましても、都会で暮らしている方には椎葉の良さは聞こえてまいりません。
若者は都会へ憧れ、便利さを追及するあまり、人間の幸せ感、価値観が崩れつつあります。
今、時代が少しずつ変わろうとしています。
地方であっても、情報の共有や発信は可能です。

都会にはない心の豊かさを求めて、地方へ移り住んでみたい!!
今、多くの方が気づきつつあります。
あなたも日本一美しい村、日本一心のきれいな村を訪ねてみませんか?
椎葉村地域振興課(地域おこし協力隊)ページをご覧ください。

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椎葉村をもっともっと知っていただくために、
読んでほしい本があります。

直木賞作家 乃南アサのベストセラー
「しゃぼん玉」 映画化されました!
これを見たら椎葉村の優しさがわかります。

さらに、、、

ANAの機内誌「翼の王国」9月号に椎葉村が取り上げられました!
表紙 日本語表紙 英語

左ページ 右ページ

日本国旗-[更新済み]

のふる里、椎葉村は今、世界に広がりつつあります!



何故?今、椎葉村観光大使を引き受けたのか?

想い
08 /20 2017
私は、山を背に、目の前が黒潮踊る本州最南端の串本町で生まれ育ちました。

日本三大秘境の一つ、「平家の落人伝説」で知られる椎葉村とのご縁ができたのは、
昭和53年に椎葉村出身の夫である、現椎葉工務店会長と結婚したことでした。
夫は22歳の時に無一文で起業いたしました。
遠い昔の話になりますが、夫はよく、山奥に住む純情な人の優しさにつけ込まれ、都会に住む身勝手な人から
騙されてきました。
その度に私はお金に苦労し、子供をおんぶして夜中まで働き、幾多の苦難を乗り越えてまいりました。
七転八起の精神で、やっとここまで辿り着くことができました。

皆さま方が生きていくうえで、「何」を最も大切とされていますか?
大自然の中で育てられた人には、
日本人の多くの心の奥に眠っているに違いない、情に満ちた優しさがあります。

お金儲けの下手な夫とともに苦労の連続でしたが、山村で暮らした
「がまん強い・忍耐力・諦めない心」は今日まで歩んできた人生の糧となりました。

人生を振り返り、敵も味方もない、位も権力も意味を持たない、「静かに人生を考えてみる」
にふさわしい椎葉村を顧みずにはいられません。

今、忘れられていた故郷が立ち現われてきた感動に打たれています。
日本三大秘境である椎葉村は、現在人口3000人を切ったと聞いて、私自身慌てています。
行政の対応が「日本一美しい小さな村」にまで手の届く政治であってほしいとの願いを含めて、
任務をお引き受けさせていただきました。

最後に一言、
「山の人は粘り強い!! 負けたらあかんで!」
椎葉村で暮らす人々にエールを送り続けたいと思います。

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私が選ぶ、椎葉村の魅力 ベスト3

①源平合戦以降、平家の落人集落は日本に多く存在しますが、
 平家と源氏が仲良く暮らした村は、椎葉村以外に存在しない!
 それはなぜ、、、?

②山合の地に、何百年も前から継続し続けてきた、神楽の文化とは?

③日本人らしい文化、「かて~りの里」とは?

夏休みはニッポンの隠れ里、椎葉村へ行こう!!

椎葉村情報
07 /28 2017
最近は観光大使の名刺を持ち歩くことが多くなり、いたるところで自分の会社より多くのPRをさせていただいております。
観光大使名刺

さて、本日は甲斐舗道代表取締役 甲斐 究(かい きわむ)さんを訪ねました。
甲斐 究さんは、椎葉村出身で、枚方に住居を新築したばかり。
昨今は「椎葉村応援隊」として、椎葉村を熱く語れる力強い味方です。
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私たちはこのように語り合いました。
「最近は、自分の仕事をほったらかしで、椎葉の応援団としてみなさんからあてにされるうちが華だね!」
椎葉村では「人間は、できるかできないかということより、やる気が一番!と言うたもんじゃが。。。」

そこで甲斐社長から、びっくりポンのニュースが飛び出しました!
50才からの旅と暮らし発見「ノジュール」7月号に椎葉村が大きく取り上げられているというのです。
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ニッポンの隠れ家を歩く椎葉村。
山奥の秘境、悲恋の平家伝説や鶴富屋敷、あの民謡を歌ってくれた人々、
椎葉民族芸能博物館、民宿。
この本に「椎葉が出てるよ~」との声。
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ベテラン椎葉村観光ガイドのお兄さんなど、丸ごと椎葉村が堂々と載っているではありませんか!

山々の懐に抱かれるように、その小さな集落には平家伝説が色濃く残ると紹介される椎葉村。
一度訪ねたら、誰しもが椎葉村の虜になると言われるほどの人情の厚さに酔いしれる椎葉村。

50才を過ぎたら
「人の幸せってなんだろう」
「人が生きるってなんだろう」
これまでの人生を振り返ってみませんか。

都会の慌ただしさから解放され、雄大な自然に抱かれて、ノスタルジックな時の流れを感じてみませんか?

今年の夏休みは日本の隠れ里椎葉村へ、、、
少しディープな自分探しの旅をしてみませんか。
そこには「永住の暮らし」が待っているかもしれませんよ。

椎葉村につきましては、
椎葉村観光協会ホームページをご覧ください♪


災害から守れ!! 美しい村の存在を願う

日々の事柄
07 /11 2017
九州山岳部にもたらした記録的豪雨。
のどかな山間部に住む人たちの生活を根こそぎ破壊してしまった。

数日前、テレビをつけたら、民俗学を提唱し、その著書に椎葉村について記述している柳田國男が紹介されていた。
今回の自然災害は偶然とは思えない。
この話になると、語気は高ぶるが、今後繰り返される土砂災害にただ泣きわめくのではなく、
多くの対策を講じなければならない。

柳田國男の友人に、在野の碩学として名高い和歌山県の南方熊楠(みなかたくまぐす)という民俗学者がいる。
昭和初期、彼たちは、日本の村落を守るべく、今でいうエコな暮らしの伝承を唱え、国会に提案したところ
国は経済大国をめざし、近代化の方へ進んでしまった。
このままでは日本の村が危ない!!

私が愛してやまない椎葉村は、日本人の多くの心の奥に眠っているに違いない村民の思いやりに満ちている。

そんな日本人の「やさしい心」も何百年も継承し続けてきた神楽も、世界遺産に登録されている焼畑農業も
消え去り、ついには村が滅び去ってしまうことになる。
今や高速道路や橋づくりに、一喜一憂するのではなく、今一度自然災害に備える対策はもちろんの事、
日本一美しい村の存在をお願いしたい。
美しい村が美しい村でなくなるのはせつない!!

人生が有限であるがゆえに、どんな人でもこの世に何かしらを残すことができるはずである。
私は願う!! 将来の日本の社会や子供たちに、日本古来の美しい村が「椎葉村」であり、そこで暮らす人々の慈愛に満ちたかつての日本人の暮らしが存在していること。
これこそが、”日本のふる里”であることを伝えてゆかなければならないと。。。
コラージュ

※祝!世界農業遺産認定 
 日本で唯一椎葉村は、縄文時代からの伝統的な焼畑農業を守り続けています。
奨励賞 嶋岡伸好 『農の源風景』_ 焼畑
焼畑農業は、再生(eco)農業です!
自然界には生きとし生きる者の共存であり、「虫けら一匹無駄がない」、椎葉村ならではの先人の知恵なのです。

最後に一言、、、
賢人は自然を守り、愚人は経済を喜ぶ。

私の想いはこのような体験から来ている。

生まれ育った紀州の海には、今から50年前はウミガメが産卵にやってきていた。
お役人は、いつしか美しい海をコンクリートなどの有害物質で覆い、砂浜が消えていった。
カメが産卵にこなくなった。ついには海の生き物は消え去った。
本当に悲しいことだ!! 自然界に生きる者すべてに生きる使命があるはずだ!!

日本の「美しい村の存続」を願い、今の時代を生きる者一人ひとりに課せられた責任であると思う。

本日は、椎葉村観光協会の方々が、椎葉村PRの打ち合わせにお越しくださいました。
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椎葉工務店

椎葉かな子が、椎葉村観光大使として想いを綴ります。