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いつでも、どこでも、椎葉村

椎葉の語り部たち
05 /13 2016
環境省が認めた「星空日本一」
長野県阿智村を訪ねました。
まるで椎葉村によく似たイメージの村です。
”流れ星”、しっかり見えました。
きれいな星空を見る為に、山頂には1000人以上の人が集まっていました。秘境の旅、最高です!
椎葉村でも、こんなきれいな流れ星、見られそうですよ!

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辛い時こそ「これでいいのだ」笑顔で人生を、バカボンのパパとファミリー劇場

椎葉の語り部たち
10 /31 2015
これでいいのだ!バカボンボン」の名言で世の中を一世風靡した赤塚不二夫作『天才バカボン』のことを懐かしく感じられる方も多い事でしょう。
実は夫はバカボンのパパそのもの。
私たち椎葉家はバカボンファミリーでした。
バカボンのパパに稼いだ私の人生はこれまで、夢を描いていた規律正しい人生とは一転しめちゃくちゃな人生でした。

夫は、けじめをつけることを嫌い、職人気質ですぐ人を信用し、人に騙されました。 その度に「わしは悪くない!騙すやつが悪いんだ!」といい、人が辞めるときには「わしは何も言うとらん!お前が悪い!」といい、まじめに考えるタイプの 私は追いつめられていきました。
落ち込む私を実家の母だけはこのように言ってなぐさめてくれました。
「人間かしこすぎるより、少しバカボンくらいの方が丁度ええ。しかもバカボンは天才やで。」

そして「バカボンの足りないところは、私が補えばいいんだわ」と思うようになったのです。
バカボンのパパは一度だけスタッフの前で本音をもらしたことがあります。 「わしは金もうけは下手くそや!ようもうけへん!」

この言葉は、バカボンのパパと長年付き添ってきた私にはすぐにこのように聞こえたのです。
「人生は相手がどうか気をもむより、自分たちがどうするべきかに行動目標をすりかえるべきである。
お前たちの進むべき方向が明確となるのは、一人一人の自覚である」と。

夫はバカボンのパパのような天才ではありません。
その日暮らしが好き。
しかし、貧乏暮らしに慣れた高潔な人であります。
地位、名誉をかさにきている人より、ずっと素敵です。

辛い時こと「これでいいのだ、これでいいのだ!」、笑顔で直進なのだ!
今椎葉工務店のスタッフやお客様は"人の心がわかる"高潔な心の人が集まっている気がします。

最後に人生とは生きるに値することなのだ!!
どんな困難なことでも笑って乗り越えることなのだ!!

私はバカボンのパパから学んでいる。
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「40年を振り返って」 苦難の人生に感謝!(2012年3月 記)

椎葉の語り部たち
04 /10 2015
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創業40周年というけれど・・・40年前貧乏のどん底で起業した夫と連れ添った33年を思い起こせば、さまざまなことがありました。平坦な道は片手の指で足りるしかなく、あとは山あり谷あり、まさに茨(いばら)の道ばかりでした。そんな道をさまよっている時でも、商売に対する私の考え方はただ【お金を儲けたらいい】という考え方は嫌いで、【どうすればお客様に喜んで頂けるのか】ということを追い求めてまいりました。
40th_anniversary-09.png創業当時のお客様は、人情のある暖かい人たちばかりで『あがってごはんでも食べていって』というお声を掛けて下さいました。しかし、好事魔多しと言います。良いことが続くわけではありません。夫が友人の保証人になって騙されたり、ほんのわずかなことでお客様からきつい仕打ちを受け、人を雇えば「話が違う」といじめられ、すぐに辞められる・・・という、公務員の家庭で育った私にとって厳しい試練になりました。のんきな夫は『人間死ぬのも生きるのもひとりじゃないか。まじめにコツコツやっていたらチャンスは巡ってくるさ。』などと、まるで映画の寅さんのように言っていました。
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十数年が経った頃、弊社は建築と不動産を立ち上げました。当時、建築は世間一般的に大手企業のように下請けに丸投げのシステムだったのですが、私の使っていた下請け業者が2件も倒産したのです。手に汗を握り締め、裁判所に向かいながら『二度と他社へ工事はまかせない!』と心に誓ったのです。
 それからというもの【どうすれば建築コストを抑え、安くて良い工事をご提供できるのか】私と夫の苦悩が始まりました。『私はこうはなりたくない!』『お金儲けさえすればそれでいい!その場しのぎできればそれでいい!』そんな経営者にはなれませんでした。
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夫と私は利益を出すことより現場の改善を少しずつ行い、専門的なプロ意識のあるスタッフを徐々に増やしていきました。そして平成15年には、関西電力さんから枚方でたった一つの【はぴeビルダー】に登録させてもらいたいとお話があり、天下のパナソニックさんからも枚方エリアで唯一のテクノストラクチャーの取り扱いに推薦したいと、また、TOTOさん・リクシルさんから、ぜひ取扱店にと嬉しい申し出がありました。
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夫は災害で家を流されたことで普通高校の進学を諦め、夜は夜間高校の工学部へ進学し一級電気工事士の資格を取得していました。人間、苦しい事ばかりではありません。
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お客様からは『ありがとうございます。こんなきれいにして頂いて』とお声が聞こえるようになり、施主と施工主の間で少しずつ信頼の輪が広がっていきました。創業40年といえど、我社のモットーはまじめにコツコツどこよりも誠実に、そしてお客様から『ココに頼んでよかったな。』と言われるような仕事をご提供すること。このような考えが椎葉工務店の理念として生まれました。過去を振り返ると涙のあとができるくらい何十年も仕事の辛さと格闘してきました。だからこそ味わえる実りの大きさに、今、本当に感謝しています。人様に喜んで頂こう。そのために苦労から逃げるのではなく、苦労させていただき、自ら成長していこう。そう思える人生に行き詰まりはないと確信しています。そうは言うものの、まだまだ至らない点が多く、皆様にご迷惑をおかけしている事もあると思っておりますが、真面目に謙虚な気持ちを持ち、少しでも成長していきたいと思います。何か至らない点がございましたら、すぐにおっしゃて下さいね。
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「私の旅路」~これが私の原点です

椎葉の語り部たち
12 /13 2014
本番外編では、弊社専務椎葉かな子がこれまで語ってきたさまざまな物語をまとまたものです。
本編を最後まで読んで頂くと、椎葉工務店の歴史と心情、信念が皆様へもお伝えできると思っております。
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ふる里を離れ、腕一つ根性ひとつで事業を立ち上げた夫に連れ添い、創業から40年程。振り返りますとさまざまなことがありました。ある時は、人に挟まれ自らが未熟なために起こりうる、様々な試練に耐えては、前へ前へ一歩一歩、事業を、あるいは人生を切り開いて参りました。わたしたちは「大きくすることよりも良い会社を目指そう!」と腹に決め、人生後半が大切と、熱意と希望を持って明るく人生の頂上を上り詰めてきたように思います。そして天下のパナソニック電工さんから「あなたのお店をパナソニックビルダーとして任命したい」とお声をかけていただき、また、関西電力さんからも、枚方でたった一つの関西電力認定の工務店として、活躍してもらいたいと認定頂きましたその他にも、サンウェーブさん、TOTOさん、タカラさん、あらゆるメーカーさんから、「うちにもぜひ」とすべてこちらからではなく、相手様の方から取引したいと申し出を頂きました。
私達の力以上の評価を頂いたことに対して、私たち夫婦はこれまでの苦の人生に感謝いたしました。
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さて、人材においては、若いころには出会えてなかったような有能な行動力のあるスタッフが入社し、私たちの理念「お客様に愛される企業づくり」に基づき、働いてくれております。そんな中、昨年の(平成22年)の暮れ、長年、真面目に誠実に愚痴ひとつこぼさず働いてくれていた大地正広氏が、「社長、会社を辞めさせてもらえませんか」と、突然いうではありませんか!(「えっ! なんで? うちはえらい被害やし損やな」)と、一瞬頭をかすめました。
「市会議員に立候補することになったんです」
私達は心の底から彼の人柄を尊敬でき、市民のリーダーとしても十分にふさわしい能力を備えている人物であることに気づきました。
「よ~し、頑張れよ! これからは市民の皆様のお役に立つんだぞ!」  「ありがとうごさいます。 このご恩一生忘れることはありません」と、私達3人の目には涙があふれました。断腸の思いで彼を市政に送り出す決意をし、これが最後の別れとなりました。
その後、彼は選挙を立派に戦い抜き、各投票4位という結果で初当選しました。
私たちは「やっぱり世間は見ているね。人のため世の為になる人を、私利私欲のない人を知ってるんだね」とつぶやきました。
「一隅を照らす」この言葉は、大地正広さんにピッタリ似合う言葉です。彼なら「万灯照国」この言葉通り、市政で活躍されることでしょう。
私達もやり残したことがあります。この会社をシェアーNo.1の会社に!その日まで、私達も奇跡のパワーを秘めてゴールデンルートを歩んでまいりたいと思います。

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『商売にはただ儲けさえすればええという一遍通りの人と、お客様の喜ぶことを追求していく人とがいると思うわ!』と、いきなり椎葉は言う。
大学卒業後の22歳で何も知らずに嫁ぎ、持ち前の行動力で磨きをかけ、彼女の信条としている「お客様に喜んで頂きたい」という心は、今日、多くのお客様に親しまれている成果に表れている。
多くの工務店の中から厳しい審査基準をクリアーし、パナソニックビルダーとして任命されたことは、社長の「信用第一」とする「一心」によるものであることは言うまでもない。
さらに彼女の口から力強い「信条」という言葉が垣間見える言葉が続く。「スタッフと心を合わせ、地域に根差した安心できる工務店こそ大手に負けない”ものづくりの原点”だと。。。
彼女は他人の喜ぶことを考えていると、アイデアが次から次へと尽きないそうだ。
これからは、人の温かさや絆をみんなで確認し合えるような社会にしたいと意欲を燃やす。
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昔、こんなことを言われたことがあります。
「椎葉さん、建築業はどれだけお客さんにつくしても、クレーム産業だから感謝されることはないよ。早く辞めてしまいなよ。」
「建築業は『請負(ウケオイ)』といって、どれだけお客さんにつくしても、わからずやのお客さんにつかまったらもともこもないよ! 請けた方が負けさ!」
しかし、私たちは「どんなにクレームをもらおうと、お客様はお客様! お客様あっての私達。 お客様と仲良く、少しでも喜んでいただけるような工務店になろう!!」そんな想いで、生きてまいりました。

そんな私達からお客様へ感謝を込めて年に一度開催しているのが『夏まつり感謝祭』です。何から何まで手作り。女性スタッフを中心に社員一同力を合わせて、温かみのあるお祭りを催してます。
毎年大勢の地元のお客様のご来場をいただき、ありがとうございます。
まだご来場いただけてない方々も、是非一度この『お祭り』に来られませんか?
社員一同、心よりお待ちしております。

「夏祭り感謝祭」の様子をブログに記載しております。是非ご一読ください。

  恒例 夏祭り感謝祭 パートⅠ

  恒例 夏祭り感謝祭 パートⅡ


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ほんのりと椎葉工務店に春の日ざしが差し込むようになったのは、今からわずか8年ぐらい前のことだったと思う。会社の経営のこと、そして会社の将来のことを一人で夜を徹して考えぬいた日々の事が思い出される。こうでありたいと願う理想と理不尽な社会の現実の間でたゆたいながら・・・

 枚方の地に住み38年、夫と結婚し商人の道を歩いて31年の歳月が流れている。思い返せばさまざまな事があった。平坦な道を数えれば片手の指で足りるくらいまさに「茨の道」ばかりだった。しかしその意にそぐわない経験や日常の取るに足らない些細な出来事がひとつとして無駄がなかったかと思える。

さて(椎葉工務店の現社長)である私の夫、昭和24年生椎葉村で中学生まで過ごしたが家をまるごと水害で流され、家を失い、上阪し、昼間は松下で働き夜は高校に通っていたようだ。
そして23歳の時一人でわずか10坪ばかりの店舗をかまえ小さな電気店を営んでいた。
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一方私は客室乗務員を夢みて関西外大に入学していた。ここ枚方という地で夫と初めて出会った。
夫は私につぶやいた「生きてゆくのも死ぬのもひとりじゃないかどうせ自分の飯ぐらいは自分で食えるようにならんとな!」
まるでフーテンの寅さんの様に楽しくユーモアたっぷり語る夫の目はかがやいていた!!
夫は口先だけで働く人ではなかった。
手に技術をつけ手先器用で電気配線や修理を一人でこなし物造りが好きな人であった。

華やかな客室乗務員になれるチャンスは見事にうらぎられ、一国一城の城主になりたいという男のロマンに便乗するようになった。何もかもゼロからのスタートだった。
おまけにお人好しの夫は自分の借金ならいざ知らず、他人の借金を背負わされていて、物売りという商人の泣きたくなる現実が待ち受けていた。

しかし商人の道を踏み入れたものの気持ちだけは押しつぶされる自分に負けてはいけないと前向きに切り替えることで、 私と夫の二人三脚による車の両輪は前へ前へとスムーズに動き始める。
昼間は暑い日差しを浴びながらサンダルのひもがきれるまでチラシを配り、時が経つのを忘れて配り終えるのはいつも夕暮れ、家路を急いだものだ・・・子供達の寝顔を見るのはいつも真夜中の1時ごろだった。
気の遠くなるような苦労と努力の始まりだった。
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店を開いて数年後、人をやっと雇い入れた。
しばらくしたある日、スタッフの一人が詰め寄ってきた。
「私達の生活がこれからどうなっていくのか保証してほしい!」
自分(私達夫婦)たちですらまだろくに食べられずにいるというのに、人の生活の保障をしなければならない!しかも継続しなければならない。
私達夫婦は20代で人を雇う責任というものを味わうことができた。零細企業であっても人の協力なしして成り立たない。
はたして人は何の為に働くのだろう、私は納得できるものが欲しかった。目の前にあるのは借金の取立てだけ!入るお金はすべて目の前を通り過ぎていく。

その頃長女の作文にこのようなことが綴られている。

家にお母さんがいる友達のことがどんなに羨ましいか。私と同じような淋しい思いを将来自分の子供だけにはさせたくない!と力説しているものがあった。
「大きくなったら主婦になりたい!」私の母は働いてばかりです。もう商売人の家は嫌です。私は専業主婦になっておいしい手料理をつくることが夢です」
自分の苦労にじっと耐えながら私達の役に立ちたいと願っている長女に我子でありながら胸中締め付けられる思いだった。

経済はバブルへと突入していった。clip_image002_0000.jpg

かねてから興味があった建売業をやり始めた。建てれば売れるという経済はまさに質より量の時代だった。すこぶる順調に運んだ建売業だったがお客様のクレームの嵐である。
まる投げでやっていたので、お客様の声は現場へスムーズに届かなかった為だった。 そこで追いうちをかけるかの様に事件が起こった。
まる投げ先が倒産したのだ。しかも続けて・・・2件・・・。

「あなたを信用して買ったのに!」女性のお客様から私の腕や服のえりをひっぱられた。
お客様を守らなければ・・・物件が第三者に渡らないようにしなければ。それが精一杯だった。「社長出せ、社長おるか!」死闘の様な毎日が始まった。後になってこのことは大きな宝物を得るヒントとなった。
現場は汗水流して私達の手で創り上げなければならない。人の手にまかせて良い仕事はできる訳がない!!と。やがて社内に現場歴の長い熟練された大工、職人が次々と集まってきた。ていねいな仕事を目指し自社施工の道へ一歩踏み入れた。量をすて質にこだわった。

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建築を始める前は、「ああいう経営者だけにはなりたくない。」と心に誓い反面教師にしてきたはずだ。
建築業界は荒っぽくて愕然とすることばかり。世の中は新聞やTVで、あの姉歯さん問題の様なズサンな仕事が報道されていた。
私はこのような意味の本に出会った。
人は皆幸せでありたい。しかしながら人生は困難が多く、なかなか上手くゆかぬものである。
その困難に向かい乗り切っていく時、意識のひらめきに出会うことがある。つまり、ひとりの思いや考えで困難や苦しさを人のせいにするのか、自分が招いた困難として逆に意欲を燃やし挑戦し続けるのか、その人の受け取り方によって大きく変わるのである。
他人を羨んだり恨んだりすると、いつの間にか自分の周りにもそんな波動が生じてくる。心が荒んで汚くなるそれが悪い方悪い方に傾いてくる。大切なのはあるがままに乗り切ることである。

売上を上げたいという気持ちが、質より量へと発展させ、お客さまお一人お一人と向かい合う心を失っていたのではないだろうか、と深く反省した。経営者自ら顔を洗い、お客様にお役に立ちたい。そういう会社を目指そう。

利益の出る、もうかる建売はなるべくしてやめた。それよりもうからない道、リフォームや建替えを選んだ。“リフォームや建替えこそが夫に向いているのではないだろうか。”そう気がついたのだ。夫は現実主義で、TVや新聞をにぎわせている悪質な業者にはなれないはずだ。

さらに私達は考えぬいた地元の工務店として、私達がもっとお客様のお役に立てることはないだろうか。これまで辛く苦しい人生の坂道を夫婦で歩いてきた。戦後物のない時代を生き抜いてきた。
貧しく辛い時も、あるがままに生き抜き子供をおぶって働いてきた。だから単に儲かったと一喜一優するのではなく、人より何倍も感謝される心を大切にしてきたつもりだ。
儲けさえすればいいなんて思われるほど私にとって悔しい事はないのだ。

今の時代は「モノ」から「コト」へと移りかわりつつある。お金では買えない価値「人の心」へと伝わっている人生とは他人の縁との集大成であるはずだ。
自らが成長し苦労を共にし、ともに教え合い学び合うお互いの成長を喜ぶ、そういう会社にしたいと心に決めた。
苦労もしていない人間に心が震えるような喜びを感じることなどあるはずがない、お客様に喜ばれるために苦労を負う。目先の利益にとらわれずスタッフが意識改革を行いひるまぬ努力を続けてゆこうと誓った。

そして今人生が変わるとき・・・今会社ではこの様なお客様のお声が届くようになった。まだまだ充分とは言えないが、
「ありがとうございます。こんなにきれいに仕上げて頂いて。」  「ありがとうございます。企業努力がうかがえます。」  「ありがとうございます。ほっとしました。」
そこにはたのもしい(夫)椎葉社長がいる。
仕事を通して椎葉が人々に伝えてゆくもの(使命)が明確になった!それは日本語で一番美しい言葉「ありがとう」である。この店が好きなんだ、何かあったらたのみまっせ!何かあったら飛んできてくれよな!この言葉がお客様との間で交わされるようになった。

あとがき
これまで二人三脚で歯をくいしばりただひたすら前を向いて歩いてきたみちでしたけれど後ろを振り向けば・・・あの「保育所に預けられっぱなしで商人の家はきらい!」と駄々をこねた子供達がその又夫までがだまってついてきています。
子供達は親の背中から何を学び育ったのかは分かりません。私達と共に働くということは、一流企業への就職をあきらめ決して楽ではない苦労の道を選んでくれたようです。
会社には少しづつではありますが、苦労を共に喜べる心根ある人材が集まってきてくれています。
仕事の上で困難に直面したときそれを人間成長の大いなる試練と受け止め前向きに努力できるか否か・・・そんな前向きな人材に育ちつつある気がします。
若い頃は苦労に耐えられなくて、自分だけがなぜこんな目にあわなければならないのかという思いを抱き不運を嘆くものです。しかし、そのような意にそぐわない経験、日常の取るに足らない些細な体験のひとつひとつは生きていく上で無駄なものはなく、むしろ人間としての深みや幅を増してくれる気がします。
はずかしい話ですが、ようやく50歳を過ぎた今、年齢を重ねて初めて得るものを、知った気がしてならないのです。
そして人は何のために生き、何のために働き何の為にこの世を去るのだろうかと・・・よくこれまで自問自答をくり返してきました。

ここからは私のつたない体験による奮闘記を読んでください。ではお楽しみに!
出版しました!
¥1000円税込み
問い合わせ先:椎葉工務店072-848-8175
タイヨーシステムサービス072-848-1015
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建築は地元をよく知った者が行え!!決して地元を離れるな!!と先人より教えてもらったことがあります。

こよなく愛したふる里の椎葉を離れ、ここ枚方の地に住み継ぎ40年近くになります。 若い頃は自分の事で精一杯の人生で周囲を見渡す余裕すらなく走り続けてきたものでした。しかし時間を経るにしたがってまさに時が人を育ててくれているかのようです。

今、日本の経済成長は終止符を打ったかの様で国民ひとりひとりがまさに生きていくという正念場を向かえている年でもあります。新築は建売より質を問う建替えへ移行し手直しやリフォーム事業はこれからも増えていくことになるでしょう。

椎葉工務店の新築・リフォーム事業は、限られたエリアで手間ひまかけてじっくり行うもので目先の利益を優先するお仕事ではありません。
むしろ建築は物づくりと言えど、きたない・きつい部門にあたり割りの合わない仕事かもしれません。しかし椎葉工務店はこだわり続けます!!

私達も孫もこの地元にこれからも長くお世話になるのだから、人として企業として地元に何かお役に立てる事はないだろうか。

あの人なら安心だ、あの人の考えはしっかりしていると信用頂くまで人間誠実であれ謙虚であれ一生懸命であれと建築屋としての使命に燃えています。

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椎葉工務店

椎葉かな子が、椎葉村観光大使として想いを綴ります。